私はレイモンド・カーヴァーを知ったのも最近のことで、『愛について語るときに我々の語ること』が最初に読んだ本です。
村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』のあとがきに、レイモンド・カーヴァーの『愛について語るときに我々の語ること』のタイトルの原型として使わせてもらったということが書いてありました。
その時、『走ることについて語るときに僕の語ること』は私が今まで読んだエッセイのタイトルとはかなり違っているとの思いでだったことの謎が解けたように思いました。
しかし、その時はまだすぐにレイモンド・カーヴァーの本を読んでみたいと思うほどにはなりませんでしたが、瀬戸内寂聴の『孤独を生ききる』の中にレイモンド・カーヴァーの妻であるテス・ギャガラーに会ってお話したことが書いてあるのを読み、興味を抱くことになりました。
テス・ギャガラーは妻子のあるレイモンド・カーヴァーと一緒に暮らしていたのですが、カーヴァーが肺がんで亡くなる2カ月前に結婚したということです。
レイモンド・カーヴァーが妻と子供たちとの不和に悩んでアルコール中毒のために4回も入院しており、テス・ギャガラーとの出会いと前後してアルコールをたち、作家活動に専念したころに書かれたものが『愛について語るときに我々の語ること』のようです。
そして私がそれまで知らなかった、レイモンド・カーヴァーの書いたものを読みたいと思ったのは、瀬戸内寂聴の「孤独を生ききる」を読んだことにあります。
私の本との出会いはほとんどの場合、このような感じでやってくるのです。
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「ミニマリズム」と言われる無駄のない短編集は感動的な作品だった
上記のような経緯で読み始めた「愛について語るときに我々の語ること」ですが、表現はとても素晴らしく私が今までに出会たことのないものでした。
はっきり言って切り詰められるだけ切り詰めた文章の中で、理解できない作品もありましたが、それらは後で読んだ村上春樹の解説で納得できました。
解説を読まなければ、分からないということを恥ずかしいとも思いましたが、これほど身近な文章の中に作者の思いを入れた短編小説というものを初めて読んだような気がします。
エッセイを別にすればあまり短編小説というものを読んでいないことにも、気が付きました。
そして、説明的なものをほとんど含んでいない文章で、これほどまでに深く降りていける作品に初めて出会ったような気がします。
この中では表題になった「愛について語るときに我々の語ること」が少し長く、訳者の村上春樹が、次の「大聖堂」に入るような作品だと言っているように、この短編集の中では少し違った感じで読むことになりました。
愛について語るときに我々の語ること
表題にもなっていて、短編集の中では一番長い作品で、他の作品に比べてわかりやすい作品になっています。
友人のメル・マギニスと僕(ニック)とメルの2番目の妻のテレサ(テリ)とニックの妻のローラが、ジンを飲みながら愛について語り合う、作品と表題がぴったり合っている作品でした。
2組の夫婦ともに再婚同士ですが、メルが話の主導権を握り、妻のテリの前の夫エドのことに話が及ぶ。メルは愛とは精神的な愛だと信じていたがテリは暴力的な愛もあるという。
私がメルと一緒になる前に暮らしていた男は愛するあまり私を殺そうとしたのよ、とテリは言った。「ある夜、彼は私をさんざん殴りつけたの」とテリは言った。「そして私の足首をつかんで部屋じゅう引きずるり回したの。彼はこう言い続けていたわ、『愛しているよ、愛しているよ、こん畜生』って。
中略 「そういう愛って、いったいどうすりゃいいんでしょうね?」
メルはそんなのは愛と呼べないというが、テリはそれも愛だったというが、メルはそれは愛とは呼べないと言い、同意を求められたローラは、そういうことって本当のところは、本人にしか分からないのではないかと言います。
テリが家を出た時、彼は殺鼠剤を飲み命はとりとめたものの、歯茎はボロボロになり、最後は口に銃を打ち込んだが死にきれず病院に運び込まれて2日後に死ぬまで、テリは看病したといいます。
心臓外科医のメルは、交通事故にあって内臓破裂でで運び込まれた老夫婦が死ぬことなく集中治療室を出て、様態が良い方の爺さんの方が落ち込んでいるのでどうしたのかと聞いたら、奥さんの顔が見られないので胸が張り裂けるほど辛いと言ったといいます。
結局、愛の形と言っても様々で、人の心の移ろいやすさをメルは話し、ふいに子供たちに話したくなるが、愛し合って結婚しただろう奥さんの声を聴くのも嫌で、その死を願ったりしています。
そして、愛というものが何なのかは分からないままに作品は終わりますが、他の作品に比べて救済的な面が見えるのはテス・ギャガラーに出会っったことによるのではないかと思いました。
作者のそれまでの生き方を知ることにより、作品をより深く理解できると私は思うのですが、名作は作者の生き方とは関係ないのかもしれないとの思いもあります。
ほかの小編も、それぞれに感慨深く読みましたが、原文で読むことのできない私は村上春樹訳のリズムのある作品を味わい深く読みました。
これほどの短編は、あらすじなどを読むのではなく、作品そのものを読むべきだと思いますので、興味のある方は全文を読むことをお勧めします。