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広告 母の介護

老人性うつ病は認知症を伴うことが多く、初期の対応が大切だと思う

母が老人性うつ病から認知症になり、寂しくてさびしくてどうしようもなくなって一番手のかかる状態になった経緯を少し考えてみたいと思います。

私は、母が老人性うつ病の発症から、6年余りの症状をつぶさに見てきました。

誰もが、母のような経緯をたどるとは思っていませんが、母を見ていた限りではどこかで症状がこれほどまでに悪化するのは食い止められたと思っています。

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老人性うつ病は認知症を伴うことが多く、適切な初期の対応が大切

初期症状はなんとなく生彩がなくなり、気力が無くなって行き、体がだるく、頭がぼーとしていると言っていました。

それまで出かけることが大好きだった母が、出かけるのを嫌がるようになりました。

母が同居している方には、老人性うつ病のようなので、精神科に連れて行った方が良いのではないかと話しましたが、連れて行く気配がないので、わたしが大病院の精神科で見ていただこうと思って連れて行きましたら、総合診療科に回されてどこも悪いところはないと言う事でそれ以上のことはしていただけませんでした。

開業医の精神科でも良かったのですが、その時は認知症の症状も出ていましたし、私はその分野の専門医もわかりませんでした。

そのうちに早朝が特に体調が悪化が目立つようになり、騒ぐようになったようで、そのころには、義妹からも母からも私のところに頻繁に電話がかかってくるようになりました。

そして、同居している人は、母の訴えを無視するようになり、同じことを言うのがうるさいと近づかないようになったばかりでなく叱るようになったようです。

私はうつ病は今までよりも細やかな対応が必要だと思いましたが、言うことも出来ませんでした。

いろいろと調べて見たら、大病院の精神科は予約制で、2ヶ月くらい待たなければならないようでしたが予約をお願いして連れて行きましたがそのころはかなり悪化していました。

このようなときは同居している家族が連れて行かなければならないのですが、そのようなことは考えてもいないようですし、ほとんど一人にして仕事に行ってしまい、居るときは知らんぷりをしているのですから、詳しい病状を家族は分かっていないのと同じなので家族が連れて行っても自分のの言い分だけを言ったのではないかと思います。

寂しくて、泣いてばかりいましたが、どうして泣くのか分からないと言っていました。

アルツハイマーでしたら、一人でどこかに行ってしまうと言う事がありますが、異常行動は何もなく、ただ物忘れがひどく何もする気がなく寂しくてどうしようもないのですから、家族が大変なのは、同じことを聞かれて「うるさい」と怒鳴っているという感じで困ると言えばそれが困るという感じでした。

私は耳にタコができるくらい、「どうしてさびしいのだろう。他の人は皆家に一人でいられるのに・・・・」という風に言われていました。

医者に「寂しくないなら来なくてもいいんですよ。この病気はみんなが寂しいのですよ。」と言われたと言っても、人の話など聞く人ではありません。

私は交通手段もなく、運転もできないので時々夫に頼んで車で乗せて行ってもらい、話をじっくり聞くことにしていました。

抗鬱剤を飲むようになってからは、鬱の症状はかなり改善しましたが、寂しくてどうしようもなく、頻繁に私のところに来てほしいと母から電話がかかりました。

今は想像もつきませんが、そのころは電話をかけることもできましたし、誰かがいれば寂しくないのですから、誰かが来て「寂しい」と聞けば寂しくないと言いました。

何しろ寂しいのは一人になった時なのですから、はっきり言ってよくわかってあげないと本当の症状はわかりません。

うつのひどいときに勧められてデイサービスに行き始めたようで、行きたくなかったようでしたが、鬱の症状が取れてからはデイサービスは楽しくなったようです。

そのころはほんの少し話している限りは、うつ病とも認知症とも分からない時間帯がかなり長かったので、よそ目には母の大変さは分からないようでした。

私には何でも話すので、そのころ2日行っていたデイサービスを「3日にしてもらったら」と言うと「家に一人でいるのは寂しいからそうしてほしい」と言います。

私は、老人性うつ病や認知症の場合は初期ケアがとっても大切だと思っていますので、そのように言うと、家の人も、ケアマネージャーも良い顔をしませんし、これよりもっとひどい人がいると言われました。

そのような対応は、本当に家の人にとっても、デイサービスやショートステイでも、ひっきりなしのトイレと人の手を握って放さなくなるという症状になるまで続くことになりました。

誰に話してもらちが明かないので、私は母を家に引き取っても良いと考えて、母に話すと「母は来たい」と言いますので、病院の日にそのまま泊めて見て様子を見ようと思いました。

しかし、まともに見えた母は夜は別人のようになってしまって私の顔もよくわからない状態になってしまったのです。

いる場所が分からなくなってしまうほどのかなり強い認知症の症状が出ていて、家に帰りたいと言います。

次の日も朝は普通で、車いすで犬と一緒に散歩に行きましたが、夜になるとやはり前夜と同じでした。

家の人への不満はありましたが、住み慣れた家への愛着はたとえようもないものだと知り、引き取ることは話していませんでしたので、3日目の夜に家に連れて行きました。

その後も寂しさは募っていくばかりで、トイレと言えは構ってもらえると思うのかトイレが頻繁になりました。

泌尿器科でも診てもらいましたが、異常がないようで頻尿の薬も効きませんでした。

わが家や外出先での頻繁なトイレに悩まされていたころも、家では連れて行ってくれる人もいないので一人で行っていたので、トイレが頻繁なことは家の人は困っていないようでしたし、知らないようでした。

トイレに行った後に下着が上がらず、寒いので上げてほしいと頼んでも自分で出来なくては困るからと上げももらえないと泣いて私に訴えるようになっていました。

そのような状態が続いた後に、私が網膜剥離で緊急入院・手術になって病院に連れていけなくなってしまいました。

ショートステイに会いに行った時にそこの方が、こんなに大変なのに病院にも連れて行かないのでは預からない。」と家の人に言ったと行っていました。

私が病院に連れていけなくなって、数か月間は内科で薬だけもらっていたようですが、ショートステイの人に言われて精神科に連れて行ったようです。

その後、私の状態が少し良くなって会いに行ったときには、それまではトイレだけでしたが、人の手をつかんで放さなくなっていました。

ここまで振り返って、老人性うつ病だった母は、初期状態の時の対応を間違うことがなかったら、施設の中で一番大変で嫌がられる人にはなっていなかったと思わざるを得ません。

私もデイサービス、ショートステイ、特老と何度も行って入所者を見ましたが、母のような人は一人もいませんでいた。

寝たきりの舅、姑、夫と3人のおむつの世話をして、誰にでも好かれていた母が、このようになること自体信じられない気持ちでいっぱいです。

私はケアマネージャーさんとも話し合いましたが、その時点で老人性うつ病の知識を備えているとは思うことが出来ませんでしたし、私が家族でなかったことで私の気持ちや母の気持ちを分かってくれる方と出会うことが出来なかったのが、とても残念でなりません。

通っていたお医者さんはとてもよくわかってくれていましたが、私が主介護者でなかったことから良い対応にまではいけませんでした。

ショートステイの方は分かってくれましたが、どうしようもなくなった時に精神科に行くようにと義妹に言ったようですが、大げさに義妹は医者に言ったためか、薬の副作用と思われるような症状になったこともありました。

今後のケアの問題の中で、専門家の質の向上を願って止みませんし、家族がどのように対応したらよいかを共に考えてくれるケアマネージャーの育成も大切だと思っています。



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