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母の介護

母が誰彼の手をつかんで離さなくなったのは私が入院してからだった

更新日:

私が網膜剥離になって緊急入院、手術、退院はしたものの痛みが取れず診ていただいたらバックル感染と言う事で、再手術、母に会うことができたのは3ヶ月後でした。

目が見えなくなるのではないかと言う思いと闘っていた私は母のことが気になりましたが、自分のことで精いっぱいでした。

1ヶ月に一度の病院は夫が運転する車で私が迎えに行って、20キロくらいある我が家の近くの病院に連れて行っていましたが、予約日が来ても私にはどうすることもできませんでした。

いつも80キロ近くあるところに住んでいる妹が来てくれていましたが、母を連れには行くことができないために、実家に相談したところ近所の内科のお医者さんに紹介状を書いてほしいと言う事だったらしく、妹が電車で来てくれて、紹介状を書いてもらい送ってくれました。

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私が入院してから医者に連れていく人がいなくなり母は急に悪化した

母を連れてくるのは家の人だったら20キロの距離を車でくればよいだけですが来てはくれませんでした。

その後母は病院に連れて行ってもらう事もなく、薬だけをもらってきて飲ませるようになりました。

老人性うつ病ですからケアが大切なのですが、同居家族は品物のように母を扱っていたようで、その後ショートステイの方に、病院に連れて行かなければ預からないと言われたと私に愚痴を言ってきました。

そのころから、母は急に精神状態が不安定になり、誰彼の手を握って放さなくなりました。

あんなに楽しみにしていた、病院通いが出来なくなり、私も行かれなくなったので、私が病気だったことを察したのかもしれません。

私が3カ月ぶりにデイサービスに尋ねたときは「よくここが分かったね」と言ってとっても喜んでくれました。

「また来るからね」と言って帰ろうとすると、「今度と化け物は出たことがない。」と言って帰るのを嫌がりました。

そのころは、私が行っても手を握っていて離さなくなっていましたが、こんなことは以前にはないことでした。

それからは時々行くようになって、「また来るからね。」と言うとまた来てくれると言う事が分かるようになり、「前にも来てくれたものね。」と言うまでになっていました。

私は先生とよく話して、薬をいただいていたのですが、患者の心を見ていない人がいただく薬のようで、強すぎたり、効き目がなかったりで薬の副作用も出て、状態は悪化の一途をたどっていました。

何とかしなければと思うものの、私の方も病院に行かなければならず、運転役をしてくれた夫が頚椎症性脊髄症のためにかなり遠い病院で手術をすることになっていて、検査入院、診察、手術入院となり、動きが取れませんでした。

母のことも気になるし、自分のこと、夫のことと重なっていて母の状態が悪くなっていき、優しくできない同居家族の負担はますます重くなっていきました。

今となっっては私も精いっぱい出来ることをしたし、家族は分からないのですから、それなりに大変だったのだろうと思うと仕方がなかったのだと思いますが、母がかわいそうだったことはいつまでも心に残ることになってしまいました。

認知症の入った、老人性うつ病の老人を介護するのはたいへんなことですが、、その老人を思いどうりにしようとして、言う事を聞かないとだけ嘆いていた義妹の気持ちはわかりませんでした。

認知症の老人が言う事を聞くことがないという事を前提で介護し、それも無理だったら、行政にお願いするほかはないと言う事も最初から分からなかった、義妹とは話が通じなかったのですから仕方がありませんが、そんな仲立ちさえ、ケアマネージャーさんにもしていただけなかったことがとても悲しく思います。

私はこれ以上のことはできなかったと思いながらも、いつも涙ぐんでしまいます。

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