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母の介護

施設で最期をを送れるって幸せな事かも?

2014年7月30日

1か月前に施設で母が亡くなりました。

私は母が弱り始めて7年近く、1ヶ月以上会わないと言う事が(私が入院していた時を除き)なかったので、母が弱っていくのをつぶさに見てきました。

家では看きれなくなって、施設に入ったのが1月末で、亡くなったのが7月末だったので、最後の6ヶ月は施設で過ごしたことになります。

母は会うたびに家に帰りたいと言っていましたが、家では面倒を見てくれる人がいなかったので仕方がないことでした。

もし、家で最期を送ったとしたら、おむつをして1日中一人で寝ている日が多くなったことと思います。

私が、行ってあげるとしても車の運転ができないし、付っきりで看るのはかなわなかったと思います。

それよりも、私の体力は1週間も持たなかったと思います。

現在は長生きする方が多いし、看取る子供の年齢も上がっているし、昔のように専業主婦的な立場の人がいなくなっているので家で最期を看取ることが難しくなっていると思います。

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施設で最期を迎えるって幸せなことかもしれないと今の私は思っている

私は、祖祖母、祖父、祖母の最後を家で看とった母のようすをつぶさに見てきました。

その時期には、ある程度大人になっていたので、家で亡くなるという現実を冷静に見ることができました。

母も仕事をしていたので、おむつを取り替え(そのころは紙おむつなどなかったので洗濯しましたが、洗濯機もありませんでした。)食事を食べさせましたが、寝たきりの状態でした。

長いこと寝たきりになると、褥瘡もできますし、手当も大変になるので、看取る人のストレスはとても大きなものになります。

父は50歳で脳梗塞で倒れましたが、回復して元気な時期もありましたが、何度かの発作の後に最後は起きることもできなくなり、ベットに寄りかかって少し動ける状態が長かったので、褥瘡にはならなかったようですが、麻痺のために便意や尿意が分からずおむつになりました。

75歳前後のの母はとっても大変だったようですが、最後に肺炎になり入院するまでを一人で看取りました。

肺炎がおきて入院した次の日から意識不明になり、2ヶ月くらい意識が戻らないまま入院して80歳で亡くなりました。

最初は毎日病室に行き、ついていましたが1ヶ月を過ぎたころから、行くことのない日も出てきました。

最期は夜中だったために、病院から電話を受けた家の方が行きましたが、穏やかに亡くなりました。

夫の父親も意識不明になってから、最後までかわるがわる誰ががついていて、最後を看取りました。

私は様々な最期を見てきて、母に看取られて意識不明になった後は病院だった父と、いつも病院で看取られていた夫の父が幸せな最期だったと思います。

それは長年連れ添った妻が最後までそばにいてくれたことだろうと思います。

祖父と祖母は一緒に悪くなったので、どちらも母が看たために母は一番苦労しましたが、夫婦のどちらかが元気で看てくれる場合以外は施設が良いと今は思っています。

父のころのように病院で長いこと入院できるところも少なくなっているようですし、家での介護は大変なだけでなく、いきとどかない点が多いのではないかと思います。

施設での最期が良いと思った私の感想

母は老人性うつ病で、寂しくて仕方がありませんでしたが、家ではかまってあげる人も無くて、施設に入るころまで便器を使うことができましたが、時々便器のあるところが分からなくなって、寒い時期に家中をさまよって低体温症になったこともありますが、夜中まで家族は看きれなかったのだろうと思います。

これ以上、施設に入れなかったらと危ぶんでいたころに施設に入ることができました。

そのようなことから、かなり弱った状態で施設に入ったのですが、トイレもずっと連れて行っていただけましたし、椅子に座るのがやっとでも寝たり起きたりと、いつも周りには面倒を見てくれる人がいました。

人の性格にもよりますが、一人が寂しくしかたがなかった母は、家で独りぼっちでいることなど考えれれないことでした。

施設は、体の状態により、食事も食べやすいものにと変えてくれましたし、水を飲みこみ事が出来なくなっていた時には、ポカリスエットまで飲み込みやすいようにとろみをつけてくれて出してくれました。

味噌汁が飲みにくくなったのは早い段階でしたが、おかゆのほかにもたくさんのおかずがあり、栄養面でもかなり気配りをしていただけました。

入所した時の体の状態から考えると、家にいたらもっと早く亡くなっていただろうと思います。

認知症もあった母ですが、最期まで私たちのことも分かり、トイレも使うことが出きて、食べやすい食事を食べさせてもらい、人間的な最期を迎えることができたと思います。

母はずっと家に帰りたいと言っていましたが、母の考えていた家は、弱った母にとって生活できる場所ではなくなっていたのですから仕方がないことだったと思っています。

亡くなって家に帰った母はとても気高い美しい顔になっていたので、満足できた最期だったと思わざるを得ません。

誰もが避けてとおれない道ですが、どのような最期を迎えられるかは、そこに置かれた家族関係や時代背景など難しいものがあると思いました。

母の遺影は私が、曾孫が遊んでいる様子を穏やかに見ているときに写したものを使ったので、とても穏やかで優しかった母の面影を会葬に来てくれた方に伝えることができたことがこの上なく幸せでした。

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