母の介護に7年以上かかわったことから、介護について考えることがたくさんありました。
その中で思ったことは介護の現場は、かなり良くなってきていると言う事です。
専門職の勉強会などの結果が介護現場に浸透してきているのだろうと数か所の現場を訪ねてみて思いました。
しかし、入れ替わりの多い現場なのか、指導者は大変だろうと思うようなこともありましたが、一般的にかなり高齢者の身になって様々な症状を持つ高齢者にかかわってくれていることを感じました。
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要介護者のいる家庭では病気に対する家族の意識を変える教育は必要だと思う
それに比べて、高齢者と一番多くの時間をかかわらなくてはならない介護者の知識をどのようにすれば、良いのかと言う問題に直面しました。
家族が家で介護をすると言う事は、デイサービスやショートステイに預かってもらうほかはの時間は永遠に続き休む暇のないのが現状です。
外では我慢が出来ても、家に帰ればわがままも言う高齢者もいることでしょう。
その上、それまでとは別人のようになってしまった要介護者は介護者の思うようにすることができず、いらだてばいらだつほど波風が高くなって大変になります。
母が家の人の言う事を聞かないと、私が何度責められたかわかりませんが、言う事を聞くと思う方が無理だと思っていました。
言う事が聞ける状態でしたら介護は必要がないと思わざるを得ません。
私は母が老人性うつ病だと分かった段階で、老人性うつ病の本を購入して勉強しました。
若い人のうつ病との違い、認知症の症状が出ることが多いことなど、数冊の本を読んでわかりましたし医師からもいろいろと教わりました。
若い人のうつ病であっても、力づけたりすることなく、病人の言う事を聞くことが大切だと思いますが、老人性うつ病であっても、何かを押し付けるのでなく親身になって話を聞いてあげるだけで、かなり穏やかになり、病状は安定します。
ずっと私がお医者さんに連れて行っていました。お医者さんは母にいろいろ聞きますが私はよほどでない限り黙っていました。
「お身体はどうですか。」と聞いてくれると、母は「元気です。」と答え、寂しくて寂しくてどうしようもない母に、「寂しいですか。」と聞くと母はすかさず「寂しくありません。」と答えます。
やさしく、訪ねてくれているのですから、母は満足で、身体の悪いところも、寂しいことも思い出しませんし忘れています。
思いどうりにならないかもしれませんが、そんなことを参考にして、空いている時間だけでも接してあげれば、かなり違うのだと思いました。
我が家に来たときには、トイレの場所も分からず、勝手が違うので、母と付き合うとくたくたになりましたが、私が実家に行ったときは、自分でトイレにも行くし、お茶菓子まで持ってきてくれるという感じでした。
せめて家の方が、もう少しやさしくしてくれたらと思いましたが、家の人は体に異常がないので病気だとは思っていず、わがままになったくらいしか分からないのですから仕方がありません。
私が、少しでも言ったら大変な事になるという状態でしたので、私は何も言えませんでした。
そのころに私が連れて行ったお医者さんに「一緒に住んでいる家族が来なくては困りますね。」と言われましたが、私が病気になってもうつ病の専門でもない胃腸科で薬をもらってくるだけで連れていく気がないのですからどうしようもありません。
そんな家族のために、ほんの少しでも誰かが接し方を教えてくれたらと強く思い、ケアマネージャーさんには頼んだのですが断られました。
ケアマネージャーの仕事は介護者とうまくいかないといけない事情があることがわかりました。
そうであれば、もう少し介護者を教育できるようなシステムがない限り、介護者も、要介護者も大変になってしまうのではないかと思いました。
高齢者に異常が出た場合、家族が最初の介護をしなければなりませんし、介護の仕方を知っているのと知らないのでは雲泥の差があると思います。
たとえは老人性うつ病だと分かった時に介護する人を支援する仕組みが在れば、介護者を追い込むこともなく、要介護者の病状の悪化を和らげることができるのではないかと思いました。