著作者:marfis75
下野新聞に連載され「第14回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞」「貧困ジャーナリズム賞」「第19回新聞労連ジャーナリズム大賞」を受賞した「貧困の中の子ども 希望って何ですか」が書籍化されたので購入して読みました。
連鎖する子供の貧困問題はテレビなどでもたびたび放映されていて、心を痛めていましたが1冊の本にまとめられた記事を読んで、貧困問題を断ち切るために足で取材した記者、NPO法人の活動を知り日本の見えない場所で広がっている子供の貧困は日本全体の問題としてとらえ解決していかなければならないという思いを新たにしました。
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連鎖している子供の貧困を絶つことの大切さ
いつの時代も貧困はあったのだろうが、貧困が見えにくいのが現在の特徴なのだろうと思いました。
狭い世界に住んでいる私は6人に1人の子どもが貧困だということ自体が現状として認識できていませんし、見回しても貧困の家庭がそれほどあるとは思いも及びません。
私が住んでいるところは比較的新しい住宅団地なので、公園もあり子供たちが遊んでいる姿はよく見かけますがとても行儀の良い子供たちが多く、散歩などで出会っても挨拶をしてくれる子供が多いので特にそのように感じるのかもしれません。
取材班も貧困家庭が見えにくいと書いているのですから表から見えることが少なく、孤立していることが多いということのようです。
それだけ根が深く、貧困の実態が見えにくくなっているのだろうと思います。
施設で育った子供、親が面倒を見ることができない状態で育った子供の中には大人になっても普通の家庭生活という感覚がわからないと書いてあったことには驚きました。
このことが貧困の連鎖と大きくつながっているとしたら、貧困放置は社会による虐待ということになってしまうのだろうと思います。
景気は改善しているというけれど・・・
株高、正社員のベースアップのニュースが報じられ、ボーナスの支給が増額され経済成長が報じられている裏で、不正規雇用が増え、母子家庭が増えて貧富の差はますます大きくなっていることと思われます。
高齢化社会を迎えて無年金者が増え、生活保護世帯が増えていったとき、誰が社会を支えていくのだろうかと思うと背筋が寒くなります。
貧困から抜け出そうと、奨学金を借りて大学に行っても、奨学金に返済ができない若者が多いといいます。
有利子の奨学金を借りた場合は利子が膨らんで返済できないどころか生活さえままならなくなるようです。
私の娘も大卒で就職しましたが、正規雇用でしたが、ひとりの生活がやっとできる状態でしたので、奨学金の返済などままならなかったと思います。
母子家庭では、子供を家において朝早くから夜遅くまで働いても子供の養育さえままならない雇用状態を改善する手立てはないものだろうかと思ってしまいます。
川崎で殺害された子供の母親が、「子どもより早く家を出て、遅く帰ってくるので子供のことを理解できていなかった。」というコメントにとても悲しい思いをしました。
こんな悲しい思いを母親にさせなければならない社会を何とかしなければならないのではないのでしょうか。
母子家庭の方は離婚をしたことを責められるということもあるようだが、離婚をするにはそれ相応の辛い思いがあってのことだと思われます。
生まれ育って環境に左右されずに子供たちが希望をもって生きることのできる社会を目指すにはどうすればよいかという重い課題を抱えて取材した、取材班の努力が無駄にならないような社会になってほしいと思いました。